毒親:辛いけどこれが現実エピソード1

 

こんばんわ!Mkyoyu (女 23歳 幼稚園教諭)です(^^)

 

今日は、未だに心に染み付いて離れない辛かったことをひたすら打ち込みます。

 

・私が小学校高学年 姉が中学生のとき

 私がそばに居ると分かっていながら、

 台所で母が泣きながら母(祖母)に電話をかけていた。

 「うちの子らはあかんわ。失敗やわ。二人とも」

 「妹(叔母)は上手に育てやったけど!うちはあかんわ!!!」

 

母が電話をかけていた相手、私の祖母は、母以上に毒親

でもそれに気付けていない母は未だに祖母から自立しておらず、

祖母も娘(母)から自立できていない。正直最悪の関係。

そして姉もがっつりこの毒親の性質にはまっており、言動が祖母、母にそっくり。

 

・よく父親に言われていた言葉

 「お前らが産まれてくる前はお母さんとお父さんは仲良かったんや!」

 「またお母さんがヒステリックになってもええんか!」

 「将来絶対お母さんみたいになるなよ~」

 「お母さんはおかしいねんから(^^)仕方ないやろう(^^)」

 「お前みたいなんが。あほちゃうか。」

 

そう、うちは両親ともに異常です。

そして恥ずかしながら22歳のときにカウンセリングを受けるまで父親も毒親だったんだってことに全く、、、全く!気づいていなかった。

むしろ、この家族、親戚の中で父だけは唯一信じてもいいんだ と思い込んでいた。

だから、はじめに言われた時は全然意味が分からなかった。でも、今の私なら分かる。

父親にも幼少期から沢山苦しめられた。

 

・祖母、母は昔から人の目ばかり気にしている。

 だから人前に私たち子どもを連れていくときはいつもの母親じゃなくなる。

 私も物心ついたころから気づけば人の、母の目ばかり気にして自由に動けなかった。

 そして、人前で偽りの自分を作るのに必死だった。

 

幼稚園生の頃祖母の家に泊まりに行き、母が迎えに来て家に帰る道中、母に

「私ずっといい子になってたで(´▽`*)!」と言った自分が忘れられない。

 

・父親はよく寝転がっている娘(私)をゴミをあつかうように足で蹴る。

 父は特に何も考えず「ねえねえ」といったニュアンスなのだろうが、

 されている私は何だか悲しい。人間同士なんだから、、、心があるんだよ。

 

・母は昔から我が子の言動が自分の納得のいく結果にならなかったり、予想していな かった事態になったり、腹を立てるとパニック状態になる。

 大きな声で泣き叫んだり、「出で行く!」と、荷物をまとめはじめたり、手足を出し  て本気で子どもを殴ったり、、、一番最悪だったのは私がまだ小学校低学年のころ。

 私がお風呂に入っているとリビングからいつものごとく姉と母のケンカが始まった叫  び声。私はお風呂から上がり泣きながらリビングへ行く。その日のケンカはとても大きく、結果的に母は痙攣のような状態を引き起こした。

 その姿に焦った父が震えた声で「救急車呼ぶで??」と。それを聞いた当時の私は、   前に「救急車の大きな音が住宅街に入って来たらどこの家に来てるか分かるなあ!」といっていた母の言葉を思い出し、父を止めた。幼いながらこんな状態に母がなっているということが周りに知れたら大変だ と思ったのだろう。

あの時の出来事。、、、とても怖かった。

 

・私が小学生~中学生のころ母と姉は四六時中ケンカ。

 後半は何年も口を利いていなかったし、横に姉が居ても妹の私と父と自分の分だけの

 夕食を作り、高校生の姉にだけ食事を作ってあげていない時もあった。

 

 小学校4年生の運動会前日の夜、母と姉は取っ組み合いのケンカをした。

 それで、母の指の爪が取れた。運動会当日、母はPTAの係で重たい荷物を運んだり作業をしていた。そんな母の姿が気掛かりで仕方なくて運動会に集中出来なかった。

 

 

今日はこのくらいにしておこうと思います。

こうして改めて文字化していると、当時の光景や気持ちが鮮明に蘇ってきて

何だか言葉に出来ない気持ちになりますねぇ_(._.)_笑💦

 

ではではまた明日(^^)!宜しくお願い致します。

 

2019.10.17