考え方一つ変えるだけでこんなに生きるのが楽になるんだ!(*'▽')笑

 

2019.12.26

 

 

私が最近救われた出来事。新しい気持ち!

 

英語では  ‘懐かしい‘  とか   ‘困った‘  とかを

表す言葉ってないんだって~、、、!

 

私はいつも 

あ~あぁ~あの頃は楽しかったのにな~、、、

あれが懐かしいなぁ、、、今はこんななっちゃったのか~。

 

なんて考えては、自分で悲しい気持ちを作り上げてたww

英語では 懐かしい なんて言葉無いんだよ~(^^)/

他にも 日本語だけなんだよ~こんなにいろんな感情に言葉があるのって!

 

って聞いたときに

今までいちいち考えまくってた自分が急にあほらしくなったww

 

 

23歳ねずみどしの私。

ふと、同僚に 2020年 年女とか厄年とか何かあるんですかね~(・・?

 

って聞いたら  えぇ~~⁉笑笑 わからん~~笑笑 そんなの考えたことない~笑

 

ふふふwwwびっくりしちゃったwwww

子供の頃から よく母や祖母に  

あんた今年○○と年やから あ~し~や!こ~し~や!

 

って言われるのが当たり前だったからwww

 

でも 同僚にそれを話したら

厄年でもどんな年でも 必ず毎年何らかの 良いことも悪いことも起こっちゃうんやから大丈夫よ~笑笑 そんなの考えて生きるしんどくない~??笑笑

 

ってww

 

私は自然に  しんどいです~!www

 

って答えてたwwww

 

ああぁ~おもしろい!wwww

いままで考えもしなかった考え方を知れて

なんだかとってもhappyな気持ちになれますね(^^)笑

 

久しぶりの投稿!以上!!ww

 

毒親育ち幼稚園教諭の心の葛藤

 

こんばんわ!Mkyoyu(23歳 女 幼稚園教諭)です。

 

私の職業はご存じの通り 幼稚園教諭です。

何で毒親に育てられた自分がいつの間にか幼稚園教諭を目指して、

今教員として子どもたちの前に立っているのか、、、正直分かりません笑💦

 

でもこれだけは言えます。

私はこの仕事が大好きです。そしてこのお仕事は自分にぴったりだとも思います。

 

こんな毒親に育てられた”普通じゃない自分が”先生をしていて大丈夫なのか。

と、頭に過ることは正直よくあります。

でも、逆にこんな”普通じゃない自分”だったからこそ出来る声かけ、

気づきは確実にあると、知ることが出来ました。

チック症状の出ている子どもを見て、ホームビデオに異様な瞬きをしている自分が移っていたことを思い出しました。自宅でホームビデオを見てみると、

この時の自分がしていたその行為はチック症状でした。

この仕事をしていたからこそ気づき、血の気が引きました。

当時、親に「Mkyoyuは変な瞬きするよなっ」と冷たく言い放たれたことも鮮明に覚えています。でも、自分ではその瞬きはコントロール出来ませんでした。

この経験から、チック症状の出ている子どもへの声かけが変わりました。

すると、その子の返答にも変化が感じられました。

 

 

幼稚園で働いていて思ってしまうこと。

思ってしまって悔しくて悲しくて一人心がモヤモヤしてしまうこと。

 

それは

「私もこんな風にこんな大人に育てて欲しかった」

「何で私の親はあんなにも自己肯定感を無くすような声かけばっかりしてきた

だろう。何で私は、、、。」

「いいなぁ、こんなに大人に認めてもらえてて」

「私はこの子たちとは、、、この人たちとは違うんだ」

 

今就職している幼稚園は声を大にして自慢できるほど本当に良い幼稚園、職場です。

 

こどもたちの可能性を私たち教員は本気で信じています。

だから本気で応援して本気で指導して本気で叱って

本気で褒めて本気で園児と喜びます。毎日がとても、とても楽しいです。

 

でもこんな姿って普通じゃないんです。

本当に凄いことなんです。

 

私はこんな素敵な最高の大人、教員が集まった園に出会えたことが最高に誇りです。

 

類は友を呼びます。

私は今の園の類に入ることが出来ました。

のくらい自己肯定感0で、自分が分からなかったころからすると最強なことです。

 

でも、働いていてずっと考えてしまうこと。

”私は他の職員の方々とは違う”

 

私にはもう、親といえる親はいない。

家族と思える家族はいない。

緊急連絡先に書ける名前がない。

本当のピンチの時、助けてくれるはずの家族はいない。

私は孤独。

 

この気持ちはどうしたらいいんでしょうか。

 

 

2019.10.17

毒親:辛いけどこれが現実エピソード1

 

こんばんわ!Mkyoyu (女 23歳 幼稚園教諭)です(^^)

 

今日は、未だに心に染み付いて離れない辛かったことをひたすら打ち込みます。

 

・私が小学校高学年 姉が中学生のとき

 私がそばに居ると分かっていながら、

 台所で母が泣きながら母(祖母)に電話をかけていた。

 「うちの子らはあかんわ。失敗やわ。二人とも」

 「妹(叔母)は上手に育てやったけど!うちはあかんわ!!!」

 

母が電話をかけていた相手、私の祖母は、母以上に毒親

でもそれに気付けていない母は未だに祖母から自立しておらず、

祖母も娘(母)から自立できていない。正直最悪の関係。

そして姉もがっつりこの毒親の性質にはまっており、言動が祖母、母にそっくり。

 

・よく父親に言われていた言葉

 「お前らが産まれてくる前はお母さんとお父さんは仲良かったんや!」

 「またお母さんがヒステリックになってもええんか!」

 「将来絶対お母さんみたいになるなよ~」

 「お母さんはおかしいねんから(^^)仕方ないやろう(^^)」

 「お前みたいなんが。あほちゃうか。」

 

そう、うちは両親ともに異常です。

そして恥ずかしながら22歳のときにカウンセリングを受けるまで父親も毒親だったんだってことに全く、、、全く!気づいていなかった。

むしろ、この家族、親戚の中で父だけは唯一信じてもいいんだ と思い込んでいた。

だから、はじめに言われた時は全然意味が分からなかった。でも、今の私なら分かる。

父親にも幼少期から沢山苦しめられた。

 

・祖母、母は昔から人の目ばかり気にしている。

 だから人前に私たち子どもを連れていくときはいつもの母親じゃなくなる。

 私も物心ついたころから気づけば人の、母の目ばかり気にして自由に動けなかった。

 そして、人前で偽りの自分を作るのに必死だった。

 

幼稚園生の頃祖母の家に泊まりに行き、母が迎えに来て家に帰る道中、母に

「私ずっといい子になってたで(´▽`*)!」と言った自分が忘れられない。

 

・父親はよく寝転がっている娘(私)をゴミをあつかうように足で蹴る。

 父は特に何も考えず「ねえねえ」といったニュアンスなのだろうが、

 されている私は何だか悲しい。人間同士なんだから、、、心があるんだよ。

 

・母は昔から我が子の言動が自分の納得のいく結果にならなかったり、予想していな かった事態になったり、腹を立てるとパニック状態になる。

 大きな声で泣き叫んだり、「出で行く!」と、荷物をまとめはじめたり、手足を出し  て本気で子どもを殴ったり、、、一番最悪だったのは私がまだ小学校低学年のころ。

 私がお風呂に入っているとリビングからいつものごとく姉と母のケンカが始まった叫  び声。私はお風呂から上がり泣きながらリビングへ行く。その日のケンカはとても大きく、結果的に母は痙攣のような状態を引き起こした。

 その姿に焦った父が震えた声で「救急車呼ぶで??」と。それを聞いた当時の私は、   前に「救急車の大きな音が住宅街に入って来たらどこの家に来てるか分かるなあ!」といっていた母の言葉を思い出し、父を止めた。幼いながらこんな状態に母がなっているということが周りに知れたら大変だ と思ったのだろう。

あの時の出来事。、、、とても怖かった。

 

・私が小学生~中学生のころ母と姉は四六時中ケンカ。

 後半は何年も口を利いていなかったし、横に姉が居ても妹の私と父と自分の分だけの

 夕食を作り、高校生の姉にだけ食事を作ってあげていない時もあった。

 

 小学校4年生の運動会前日の夜、母と姉は取っ組み合いのケンカをした。

 それで、母の指の爪が取れた。運動会当日、母はPTAの係で重たい荷物を運んだり作業をしていた。そんな母の姿が気掛かりで仕方なくて運動会に集中出来なかった。

 

 

今日はこのくらいにしておこうと思います。

こうして改めて文字化していると、当時の光景や気持ちが鮮明に蘇ってきて

何だか言葉に出来ない気持ちになりますねぇ_(._.)_笑💦

 

ではではまた明日(^^)!宜しくお願い致します。

 

2019.10.17

”毒親”持ち仲間がいた安心感

 

さて、昨日からブログをスタートしております!二度目の投稿!

Mkyoyuです(*'▽') こんばんは! (23歳女 職業:幼稚園教諭)

 

本日も普段通り働いて参りましたが!(^^)!

何だか私の中に気持ちの変化?があったように思います。

自ずと湧き上がってくる安心感と喜び!そして少しの葛藤。

それは勿論このブログの存在!!!笑

 

現実の世界では毒親で苦しんでいる人なんて周りにほとんどいない!!

(ほとんど という表現にしたのは、自分の経験上!見ていて 

あ、この家庭毒親持ちだな、、、というのに気づいているからです。)

親とどうこうと愚痴っていても所詮ちゃんと親子の絆の上でのトラブル!

ここ大事!笑 親子の絆の上なんですよね!

私たちとは違う!!!

 

、、、でも、さすがはネット。

毒親”と検索しただけで、こんなにも沢山同じ境遇の方がいらっしゃるとは。

一年前、はじめて勇気を出してこのワードを検索にかけた時の

衝撃と喜びは忘れられません。そして何と言っても安心感!!!!

ぎゃーーーーー!!!!仲間発見ーーーー!!!!!! って感じ笑

 

そしてこのはてなブログでも一緒。

 

やはり、何事にも一歩を踏み出すのって本当に、、、本当に大事ですね!

 

自分の親は毒親だったんだと知り、、、少なからずの葛藤の末!

一人での沖縄移住を決めたころから!

”何か私にはやらなければいけないことがあるのではないか、、、。”

そんな想いにずっとずっと襲われていました。

そしてその”やらなければならないこと”の答えは私の中でとっくに出ていました。

 

それは

毒親に育った私。苦しくて悲しくて切なくて悔しくて!!!!未だ戦い続けている私。

そんな私が成し遂げたこの 行動力!! この世の中には毒親が沢山潜んでいる!!

そして毒親に苦しんでいる人間が沢山いる。まだ自分の親が毒親ということに気付いておらず、苦しくてもがいている人間がきっと沢山いる!!そして何より自分の親を毒親と認めることが出来ずに自分と戦い苦しんでいる人も必ず、必ずいる!!

 

そんな人たちに自分の経験や行動を発信しないと、、、!助けないと、、、!

そして私も助けてもらわないと、、、。

 

その実現がこのブログだったのです。

、、、いや、正確に言えば”やらなければならないこと”の実現に

たどり着くためのスタート地点がこのブログなのかもしれません。

 

ですが冒頭にあったように私にはまだこのブログを書いている自分に対して

少しの、、、いや、大きいのかな、、、葛藤があります。、、、悔しいことに!笑

 

なにが言いたいかって、、、やっぱりこの結論に至ってしまいますね!笑

とにかく本当に恐ろしい 毒親に育てられた人間(私)にある

こびりついて離れない何か。。。

 

ではでは、また明日からは

自分の親がどういった毒親なのかも話せていけたらと思います(^^)

何せお伝えしたいことがたくさん!笑

それもいろんな方面で。笑

 

カウンセリングでの出来事、想い。

今の環境を手に入れるまでの数々の葛藤。

そして何より幼稚園教諭だからこそ気づけた本来の、理想の親の姿やこどもの気持ち…

 

などなど(*^^*)今後ともよろしくお願い致します!

 

2019.10.15

 

 

 

 

私 mkyoyu は 毒親育ち (女 職業:幼稚園教諭)

 タイトルにある通り 私mkyoyu (女 職業:幼稚園教諭) は毒親育ちです。

 

さて、初めての記事となりますので、、、!

簡単にブログを始めた経緯をご説明致します(^^)

 

始めた理由は。

、、、辛いからです!!!!!笑

毒親の鎖が。心にこびりついて離れない何かが。

せっかく楽しもう!やり直そう!やったぜ!やっと私の再スタート!

って思ったのにそう甘くはなかった。、、、やっぱり辛い!!!!

でもその辛さが悔しい!虚しい!悲しい!

だから!!私は、皆さんに助けて欲しくて!!!

そして、同じように苦しんでいる人を助けたくて!!

つまり、助け合いたくて?笑

私は、自身のことをブログに上げていくことを決心致しました!

 

 

まず、自分の親が、

んんっっ!?!?もしや家の親がおかしいと思ってた答えは

世間一般で言う”毒親”だったからなのかああああああああぁぁぁあ!!!!!

 

と、超スッキリしたのは今から丁度一年前くらい。22歳の秋でした。

昔から必ず見ていたある大好きなテレビ番組に

毒親”を題材とした実話再現VTRが流れたのです。

もう、そこに移っていた親の言動が自分の親とそっくりすぎて!

そしてそこに移る娘の気持ちが同じすぎて!!!!

えええぇぇ!!やっぱり私も悩んでるのおかしくないんじゃあん!!!

やっぱり家の親って変なんじゃあああん!!!と、何だかとてもホッとしました。

 

これがきっかけで もう、このままじゃ何かがダメな気がする。 と、

私の中で何かが動き出し!勇気を出してカウンセリングへ通うようになりました。

 

そしてここからはあっという間の出来事!!笑

 

当時、大学を卒業後、4年ぶりとなる実家暮らしをしながら

関西の幼稚園に就職しておりました。

そこでは新卒ながら年少の担任を持ち、がむしゃらに働く日々。

しかし!!これがまた、、、上司に恵まれず、、、。環境に恵まれず、、、。

正直さいっていの!幼稚園。就職先でございました。

 

ですが、不思議なことにカウンセリングへ行っても

自分の口から出てくる言葉は親、家族、親戚のことばかり、、、。

カウンセリングの先生に 「あなたが今悩んでいるのは家族のことだね。家族のことばかり話しているものね!」と、これまた不思議!!

そう言われるまで自分では気づいていなかったのです。笑

一か月のうち、土日以外のほとんどの時間を職場で過ごして!

あの最低な上司と職場に苦しめられているはずなのに!笑

 

自分の口から出るのは、

こびりついて取れない過去に浴びせられた言葉。

親、家族、親戚にされた辛い言動の数々。

とにかく親を理解できない。親なのに、、、親じゃないみたい、、、

昔のことなのにこびりついて取れないもの。、、、なんで?、、、

そんな悔しさ、悲しさ、辛さ を訴えるものばかりでした。

 

そして 結論を言いますと。笑

 

私はそんな親から!家族から!親戚から!最低の職場から!

逃げることを!!!!離れることを!!!決意したのでした(´▽`*)

 

なんと!海を渡り、沖縄へと!!笑

海を渡ってしまえば本当に離れられる気がする!!!

自然が大好き!外国が大好き!都会が大好き! 

そんな私のためにある県なのではないかと本気で思うほど

沖縄移住は私にとってベストでした。笑

 

沖縄にある幼稚園への就職をさっさと決めてしまい!

(思い立ったらすぐ行動派の私。笑)

住む地区も決まってなけりゃ車も荷物もほとんどない!

でもこの自分の強い決断と想いだけで一人、沖縄へ来てやりました!

 

それが、今から5か月前!23歳の春の出来事です(^^)

(前職場を3月いっぱいで退職後、

沖縄移住を決意してから実行まで実に一か月半の出来事。笑)

 

でも皆さん、お忘れではないですか?

そう、私がこのブログ始めたのは、、、辛いからです。

恐らく文面でも伝わる通り、私は普段から明るいです。

そして、思い立ったら行動することが出来て、カウンセリングに行っていたと言っても何か薬を飲んでいたわけでも、病的な症状が出ていたわけでもありません。

 

でも、きっとこの記事に辿りついて下さった方は、

この記事を最後まで読んで下さった方は、

何だかの形で毒親について考えることのある方なのではないかと私は思います。

 

そんな方なら分かって頂けるはず。

毒親に育てられた人間の苦しみを、、、。

 

私にしか伝えられないものが必ずある。

そして、あなたにしか伝えられないものも必ずある。

私達だからこそ分かりあえるものが必ずある。

 

こんな風に私なりにブログをしていきます。

どうぞ宜しくお願い致します!

 

2019.10.15 tue